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王命により桂陽区 梧柳洞山4番地に建てられた樹州郷校が元となっている。当時、全国56州すべてでこれに倣って郷校が建 てられたと考えられ、樹州の後名である安南の都護府が毅宗19年(1165)桂山洞(オンスゴル)に移転された事に 伴い、当時の安山郷校も安南山南側(現在桂山2洞ハンウリアパート付近)に移転したものと推測される。高麗時 代、忠宣王2年(1310)に富平府となったのに伴い富平郷校と呼び名が改められ、丙子胡乱(1636)により文廟の建 物が完全に焼失したが、朝鮮時代粛宗14年(1688)に現在の位置に文廟を再建し現在に至っている。校内は明倫 堂、斉室等の教育施設を前に、後ろに大成殿、東・西廡の文廟施設を配置した韓国における郷校の典型的な 「前堂後廟」の形式となっている。列聖の位牌が奉安されている大成殿と東・西廡、東・西斉は切り妻屋根の形 をとり、明倫堂は合閣屋根となっている。中国の5聖賢と韓国の18賢を祀る釈尊大祭は毎年旧暦の2月と10月 の初丁日に行われている。

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